1 ボラえもん ★ :2021/08/23(月) 17:23:16.27

8月6日、東京都世田谷区を走行中の小田急線の車内で、男が乗客を切りつけ10人がけがをする事件が起きた。
ノンフィクション作家の吉川ばんびさんは「男は『チヤホヤされてそうな女性を殺してやりたい』と供述しているという。
SNS上では『弱者男性も苦しんでいる』という論陣を張る人もいるが、女性差別の解消と弱者男性の救済は分けて考えるべきだ」という――。

■インセルによる女性をターゲットにした襲撃の歴史
このように女性をターゲットにした襲撃は、特別めずらしいことであるとは言えない。アメリカでは「インセル」による殺人が複数回起こっている。
インセルとは「インボランタリー・セリベイト」の略語で、「不本意な禁欲主義者」を意味する。
本人が望んでいるにもかかわらず、恋愛やセックスのパートナーを持つことができず、
「自分に性的な経験がないのは、対象となる相手側にある」と考えており、ネット上で不満を書き連ねるだけでなく、殺人事件を引き起こすケースもある。

(中略)

■「男の椅子を女が奪っている」というお門違いの批判
レピーヌと同じように、女性の権利を拡大しようとする社会的な動きに対する「男の椅子を女が奪っている」といった批判は、
お門違いもいいところで、取り合うに値しない。かつて女性は政治参加も、教育を受ける権利も認められておらず、
家庭から出て仕事に就くこと(経済力を持つこと)も許されていなかった。
そのようにして、長くにわたり男性が独占し続けてきた政治・教育・就労に女性が参加できるようになったことは、
女性が奪われ続けてきた権利がいわば「本来あるべき形」に返っただけであり、間違っても「女性優位」によって男性の権利を侵害しているものではない。

このように、一部の男性が「フェミニズムによって自分たちの権利を奪われている」と感じる現象を、
カナダのジャーナリストであるレイチェル・ギーザは著書『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(DU BOOKS)のなかで「権利の不当な剥奪感」と表現している。

(中略)
■「弱者男性の方がつらい」論
さらに女性が弾圧された事件や事案が明るみに出るたび、SNS上で必ず活発化するのが「弱者男性の方がひどい目に遭っている」論だ。
「弱者男性」をどう定義するかは非常に難しいが、昨今「弱者男性」という言葉が使われる際におおむね共通しているのは
「非正規雇用(もしくは無職)」「孤独」「モテない」といったキーワードのように思える。(個人的には「モテる・モテない」の基準は排除したいが、
「非モテ男性=弱者男性」と扱われる機会を最近よく目にするので一応書いておく)

「弱者男性の生きづらさ」は確かに重要な社会問題であり、貧困問題に取り組んでいる私も著書『年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声』(扶桑社新書)の中やさまざまなメディアで、
就職氷河期世代(ここで影響を受けたのは男性だけでなく女性も同じである)や、引きこもり男性への公的支援や社会的関心の薄さを指摘している。

しかし「女性差別解消」を考えることと、「弱者男性だってつらい」問題はそれぞれ別で解消しなくてはならないものであり、
決して「どちらの方がかわいそうか」を競い合い、より抑圧を受けている方を救済すべき、という性質の問題ではない。

先述した「権利の不当な剥奪感」という言葉の通り、「弱者男性」が抱える生きづらさは、女性に原因や責任があるものではない。
「女性にモテないのが恥ずかしい・惨めだ」という文脈で「女が悪い」という結論に行き着くのも論外で、
「モテない=見下される」という風潮があるとすれば、それは「男性中心社会」のなかで培われた
「女を抱けない男はダサい」という「女性をモノとして扱う男性同士の間での悪習」が生み出した産物であるはずだ。

だからこそ、「弱者男性」の抱える問題は「女性の差別をなくそう」とする動きの中で解決を求めるべきではなく、
貧困や雇用格差問題の解消から、そして「男性中心社会」を破壊することから解決を目指すべきではないか。

(全文はソースにて
https://president.jp/articles/-/48778

★1が立った時間:2021/08/23(月) 13:41:35.48
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